コラム | COLUMN

「気になる本はたくさんあるけれど、忙しくて、ついつい読まずに終わってしまう…」。そんなビジネスパーソンのために、仕事に役立ちそうな本、これからの人生をより豊かにしてくれそうな本を編集部がピックアップ。内容を“美味しいとこ取り”でご紹介します。今回はこちら…

ちょっと立ち読み〜ビジネスに強くなる本 第11回

「大江戸しあわせ指南~身の丈に合わせて生きる」
石川英輔 著

小学館101新書/756円

2012-11-05

作家であり江戸文化研究家である著者が、江戸庶民の生活の知恵、合理的で無駄のない暮らしについてまとめた一冊。 つつましくもアイデア豊かに暮らしていた、江戸時代の人々に驚かされます。 その中でも特に「リサイクル」に焦点をあてて、ご紹介します。

江戸時代の熱源


江戸時代、人々の暮らしには手間のかかる作業がたくさんありました。
例えば火をおこすにも、まずは火打ち金と火打ち石を合わせて火花を散らし、火打ち箱の中にある消し炭や繊維でつくった火口(ほくち)にその火花を落とします。 そこに硫黄をつけた板(付木)を押しつけて、炎を大きくしました。
ここまでで、30秒はかかったとか。 ちょっと一服煙草を吸うにも、ずいぶんと手間がかかったわけですね。
行灯の火は障子紙越しで、現在の60ワット電球の50分の1相当の明るさ。 ぼんやりと部屋を照らすことはできても、針仕事や読み物はできなかったので、行灯の木枠を開いて、裸火に近づいて灯りをとっていました。
日常生活の燃料には、主に木炭と薪を使っていました。 木炭は家の中で燃やしても煙が出ず、灰も少なくて、一般的な暖房器具であった「火鉢」の燃料に適しています。
少量の煮物や焼き魚の際に用いた炊事用コンロ「七厘(しちりん)」にも、木炭を使いました。 ちなみに「七厘」の名前は、わずか銀七厘分の木炭で煮物ができることに由来しているそう。当時、七厘=約七文で、280gの木炭を買うことができたといいます。
そのほか木炭は製鉄を行うたたら炉や、できた鉄を製品化する鍛冶屋、江戸時代に重要な輸出品だった銅の精錬などにも使われています。
もう一つの薪は、樹木を乾燥させただけなので値段が安く、さらに炎が大きいことから竈の調理に用いられました。
竈の下に溜まった灰は「灰買い」が買い集めていました。 植物が原料で毒性がないことから、農業用のカリウム肥料や土質改良に使われたり、 アルカリ剤として紙漉きや絹の精錬といった産業用途が多く、流通ルートが完成していたのです。

昭和初期まで続いた木綿のリサイクル


寛政年間(1789~1801年)には、木綿はすでに一般的な布地として普及していました。 保温力、耐久力があって、吸水性がよく、熱にも強くて染めやすい。さらに肌触りもよくて、値段も安いのが特徴です。
綿は種をまいて2ヶ月ほどで花が咲きます。摘み取った後に細く引き出して撚りを掛け、紡いで糸にしていきます。 蚕を育成しなければならない絹に比べて、少ない手間で布を織り上げることができるわけです。
そんな木綿は、見事なリサイクル型資源でした。
兄弟でお下がりを着ていくと、繊維が柔らかくなり肌触りがよくなっていきます。 古い浴衣を寝巻にし、寝巻が古くなると座布団や布団の布地として使い、さらに古くなるとおむつにしていました。 おむつとして使った後はぞうきんに縫い上げ、あまり上等でない場所を拭くのに使いました。
ぼろぼろになったぞうきんは、最後に乾かして風呂釜などで燃やしました。 その灰は、江戸時代から昭和10年頃まで肥料として売ることができました。
畑で生まれた木綿は、長い時を経て畑へと戻っていったのですね。

排泄物もゴミも無駄なく使い切る


かつての日本では、排泄物は「下肥(しもごえ)」と呼ばれ、大切な肥料として農家が汲み取り、買い取っていました。 これらを効率良く集められる、住民の多い大名屋敷は人気があったといいます。
江戸庶民の60%以上が暮らしていたという長屋には、「惣後架(そうこうか)」という共同トイレがあり、そこに集まった下肥の所有権は大家さんにあって、住人の数に応じた金額で売っていました。 40人なら、年間2両くらいになったとか。 ちなみに当時の大家さんとは長屋の地主ではなく、代理人として管理を任されていた人だったそうです。
台所から出る生ゴミも重要な肥料で、江戸東部の農村では早くから野菜の促成栽培に活用していました。 また、下総(千葉県北部~茨城県南部)から江戸まで薪を運ぶ舟は、帰りに江戸の生ゴミを積んで帰っていました。
一方、湯屋の従業員には「木拾い」という仕事があって、薪の使用量を減らすため、川辺や街中で燃えるゴミを集めていました。 市街地の清掃にも一役買っていたことになります。
和紙は繊維が長く丈夫なため、溶かして漉き返しやすい素材。 当然、リサイクルされていました。 集められた紙くずのうち、古帳簿のように大きく平らで上質の紙は襖の下張り用に表具師に卸され、そのほかの紙くずは再生紙として専門業者に売られました。
こうして見ると、江戸の街にはゴミがほとんどなく、想像以上にきれいだったのではなかと思わされます。

日用品のリサイクル


蝋燭はたいへん高価な品でしたので、蝋燭を使った時に溶けて流れるしずくを集める「蝋燭の流れ買い」という商売がありました。
古い行灯や壊れた行灯を新品と交換してお金をもらう「行灯の仕替え」という商売もあり、集めた行灯は灰汁で洗って紙を張り直したり、修理して中古品として売っていました。
時代劇でよく目にするのが、「傘の張り替え」ですよね。 まず「古骨買い」という専門業者が破れた傘を買い集め、それを「古傘問屋」が買取って、油紙を丁寧に剥がしていきます。ここで剥がされた油紙は防水紙として需要があり、滋養強壮のために食された猪肉や鹿肉を売る際に、いまのラップのような目的で使われていました。
できたての油紙は独特の匂いがあったため、雨にさらされて匂いの抜けた古傘の油紙が適していたのだといいます。 そして骨だけになった傘には新しい油紙が張られ、また市場に並びました。
液体を保存する容器として多様されていた樽も、大規模なリサイクル産業として成り立っていて、修理や改造を専門とする「樽大工」という職業があったといいます。
そのほか、生活のあらゆる場面に登場していたのが、稲藁製品。 草鞋や草履、米俵、物置小屋などに使われていた藁屋根、雨をしのぐ蓑、土壁の下地、 畳の中身、藁むしろなど。 いずれも、最後まで無駄なく活用されていました。
古くなっは稲藁は燃やして灰にした後に肥料や洗剤として利用されるか、そのまま農作物の堆肥となるかのいずれかでした。 面白いのは、街道沿いに草鞋を捨てる決まった場所があったこと。 旅人はそこで草鞋を履き替え、山積みになった草鞋は地元の農家の人が運んでいって堆肥にしていたそうです。

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読み終わった後、「同じもの、家にもあるんだけどな」と思いながら、ついつい買い物をしてしまう自分を省みました。 モノを最後まで大切に使い、古くなったら別の用途に活用できるか、リサイクルできるか考えてみる…その姿勢は、現代のわたしたちのお手本といえます。 手はじめに、溜めていた古いボソボソのタオルを縫って、暮れの大掃除用にぞうきんでもつくってみることにします。 (編集部 Y.C)