コラム | COLUMN

「気になる本はたくさんあるけれど、忙しくて、ついつい読まずに終わってしまう…」。そんなビジネスパーソンのために、仕事に役立ちそうな本、これからの人生をより豊かにしてくれそうな本を編集部がピックアップ。内容を“美味しいとこ取り”でご紹介します。今回はこちら…

ちょっと立ち読み〜ビジネスに強くなる本 第10回

「ホテルオークラ 総料理長の美食帖」
根岸規雄 著

新潮新書/756円

2012-10-01

開業50周年のホテルオークラ。その料理は世界の食通、VIPたちを唸らせてきました。 オークラのスタンダードをつくり、守るために研鑽に研鑽を重ねてきた元総料理長の半世紀に渡るお話。「組織の帝国(ホテル)、人のオークラ」と呼ばれてきた理由もうかがい知ることができます。

フランス料理の黎明期を支えたホテル


著者の根岸氏は東京YMCA国際ホテル専門学校を卒業後、開業1年目のホテルオークラに入社。下働きから始まり、途中6年間のパリ修業を経て、再びオークラの厨房に立ちます。2001年から2009年の間、4代目総料理長を務めました。
1962年、大倉財閥の二代目・喜七郎氏によりホテルオークラは誕生します。 芸術に造詣の深かった喜七郎氏は、「ホテルという形をとった本物の芸術作品」をコンセプトに、建物全体に日本の伝統的な意匠や工芸技術を盛り込みました。
一方で開業当時から、「ベストACS」を経営ポリシーに掲げます。 A=Accommodation(設備)、C=Cuisine(料理)、S=Service(サービス)
とりわけ料理に力を入れていて、当時勢いのあったホテルや高級レストランからスターシェフをスカウトし、パリの五つ星ホテルのシェフを指導のために招聘しました。いまでこそ海外の有名シェフが来日したり、日本に出店することは珍しくありませんが、50年前には非常に画期的なことでした。 シェフたちは「オークラのスタンダード」を確立すべく切磋琢磨しながら、『ダブルコンソメ』や『ローストビーフ』など伝統の味をつくり上げていきます。
日本におけるフランス料理の黎明期にあって、ホテルオークラは、帝国ホテルやホテルニューオータニとともにフランス料理界を牽引してきたといえるでしょう。
当時のエピソードに、こんなものがあります。
流通や冷蔵管理がいまのように行き届かない時代。 他のホテルや旅館、レストランとの激しい仕入れ競争に勝たなければなりませんでした。牛の上フィレ肉が1本900円だと買い付け担当者が上司に報告すると、上司は「それなら950円で買いなさい」と指示したといいます。常に50円上乗せすることで、上質な肉を優先的に届けてくれると考えたからです。
「ホテルオークラのステーキは美味しい」「ホテルオークラの宴会のローストビーフはひと味違う」というお客さまの評判につながれば、結果として50円の投資は回収できると考えていたわけです。 そこから業界では「オークラ・プライス」という言葉が生まれ、10年ほど生きていたといいます。

サービスマンは"マメ"ではなく"コマメ"であれ


シェフだけでなく表方のサービスにも、本場から支配人を招いて最新の技術や仕事への心構えを学びました。
サービスマンたちがモットーとしていたのは、「ベストACS」に加えて「H=ヒューマン」を大切にすること。 手づくりのサービスで、いかにお客さま一人ひとりをもてなすかを追究していきます。
昨今ではレストラン・ウェディングは当たり前になりましたが、実はその先駆けとなったのもホテルオークラだったとか。 ある時、ご贔屓客で再婚をされる方が多くいらっしゃいました。当時は派手な再婚式は考えられない時代でしたから、「初婚の花嫁さんにウェディングドレスは着せてあげたい」という思いを実現させるため、レストラン・ウェディングを考案したといいます。
「ホテルのサービスマンは"マメ"ではダメ、"コマメ"でないと。お客さまとのコミュニケーションをどこまでハンドメイドでやり続けられるかで勝負が決まるのです」。 多くの顧客から信頼されたサービスマン、田中俊彦氏の言葉です。 当時のマネージャークラスは、一人で1000人単位の顧客を持っていました。田中氏は旅に出かける際には葉書を用意し、必ず顧客たちにメッセージを送っていました。
こうしたコツコツとした努力によって、「ホテルオークラのお客さまはスタッフ個人につく」という評価を得るようになります。

2000名の顔を覚えているドアマン


ホテルオークラには、名物ドアマンもいます。
29年間務めた大野三夫氏は、67歳で退職するまで、毎日毎日正面玄関に立ち、そこに出入りするお客さまに対して「鈴木さま」「佐藤さま」と名前で呼んで対応していました。
約2000名のお客さまの名前を覚えていたといいます。 名前を知らない初めてのお客さまに対しては、車の運転手に会社名や名前、役職を聞いたり、コートをお預かりする際に縫い取りネームを確認したり、パーティの来賓ならば招待状の宛名を確認したりします。
そして玄関で対面するわずか2~3秒のうちに顔を覚え、忘れないうちに、名前や車の車種と番号、会社名、役職、運転手さんの名前、外見の特徴などをカードにメモしておきます。 さらに毎晩寝る前には、そのカードをもとにノートに似顔絵を書き起こし、その方のイメージを追いかけて記憶しました。
大野氏は時にホテルオークラの社長や幹部にお客さまを紹介し、ビジネスチャンス拡大にも貢献したそうです。

これまでの50年、これからの50年


日々進化するフランス料理界にあって、ホテルオークラの存在価値はどこにあるのか。
開業当時、本格的なフランス料理を食べられるのはごく一部のレストランと高級ホテルに限られていました。 バブル期には第一次フランス料理ブームが起こり、本場フランスで修業を終えた若手シェフが帰国して店を開くようになります。 2000年代に入ると、さらに全国にフレンチやイタリアンの店が続々と生まれ、誕生日や記念日には気に入った店で食事するというスタイルが定着していきます。
そんな中にあって、ホテルオークラのフランス料理はどうあるべきなのか。 根岸氏は「半世紀を越えても変わらない味と質を維持すること」と述べています。
代々、伝承されてきたレシピと調理方法。その味は料理人だけでなく、経営幹部も含めて厳しく管理されています。 その結果として「お母さんが子供時代に食べた味よ」「新婚当時によくお父さんと来たのよ」と言いながら来館してくださる親子づれがいらっしゃる。
「変わらない味と質」。それこそがホテルオークラの価値であるといいます。
保守的になるのではなく、攻めながら守っていく。 根岸氏は総料理長時代、オークラの顔である『コンソメ』のレシピからあるものを消去しました。 それは、エストラゴンというハーブの酢漬けです。
時代が進み、肉の保存状態が完璧になったいま、肉の臭み消しのために使っていたエストラゴンはもはや不要だと判断したのです。1年間に及ぶデータ集積の結果、思い切って決断しました。 そのコンソメはいまもホテルオークラの味として、不動の人気を得ています。
この革命は変化ではなく「進化」でした。 変わり続けながらも普遍であること。 それが、これからのホテルオークラの歴史をつくっていくのです。

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どれほど手を尽くしても、料理は跡形もなく消えてしまう。
だからこそ「いつでもこの味がいただける」という絶対の安心感は、大きな価値をもたらします。はかなくも潔い料理という芸術は、味という深い記憶となって心に残っていきます。
現在、ホテルオークラでは50周年記念事業として、伝承の味たちを「絶対の逸品。」としてホームページなどで紹介しています。「特製和牛とろとろカレー」「ビーフストロガノフ」、そして「伝統のローストビーフ」……。なんだか、すぐにでも出かけて行きたくなりました。
(編集部 Y.C)